平安女房、現代オフィスで上司を「お局」と呼ぶ
妖練習 中学数学 一次方程式 スーパードリル 930 (中学数学マスターシリーズ)
平安女房、現代オフィスに迷い込む
ある春の夜、宮中に仕える女房・藤野は、御簾の奥で文を整理しておりました。
中宮さまのお返事を清書し、薫物の香りがほのかに残る紙を畳んでいた、そのときでございます。
ふいに、几帳の向こうがまばゆく光りました。

「まあ、月の光にしては、少し騒がしゅうございますわね」
そう思った次の瞬間、藤野は見知らぬ部屋に立っておりました。
そこには御簾も几帳もなく、代わりに四角い机がずらりと並び、人々は小さな光る板を見つめております。
藤野は目を丸くしました。
「ここは……どちらの御殿でございましょう」
そこへ、すらりとした女性が歩いてきました。
黒い上着をまとい、手には紙の束。周りの人々はその女性に次々と声をかけています。
「部長、この資料の確認お願いします」
「部長、午後の会議、先方が十五分遅れるそうです」
その女性は落ち着いた声で答えました。
「わかりました。先に議事録の共有だけ進めてください」

藤野は感心しました。
多くの人がこの女性のもとへ集まり、判断を仰いでおります。
しかも、この部屋の中で、ひときわ立場が高そうです。
藤野は深くうなずきました。
「なるほど。この御方が、この御殿の御局でございますのね」
そして、にこやかに近づいて言いました。
「ごきげんよう、御局さま」
その瞬間、部屋の空気が止まりました。
パソコンのキーボードを打つ音も、コピー機の音も、なぜか一瞬だけ遠のいたように感じられました。
部長と呼ばれていた女性が、ゆっくり藤野を見ます。
「……今、なんて?」
藤野は首をかしげました。
「御局さまと申し上げました。こちらに局をお持ちの、身分ある御方かと存じまして」
近くにいた若手社員が、小さく咳き込みました。
「あの……それ、現代だとちょっと……」
藤野はますます不思議そうにします。
「まあ。御局とは、宮中や貴族の御殿で、局を与えられた立派な女房や女官のことでございます。たいへん敬意を込めて申し上げたのですが」
部長はしばらく黙ってから、ふっと笑いました。
「なるほど。昔の意味では、褒め言葉だったんですね」
藤野は胸に手を当てて答えました。
「もちろんでございます。局を持つとは、それだけお立場があるということ。人々が頼りにする女性、という意味でございますわ」
若手社員たちは顔を見合わせました。
現代の「お局さん」は、職場に長くいて若手に厳しい女性を指す、少し嫌味な言葉として使われがちです。
けれども、藤野の時代の「御局」は違いました。
そこには、部屋を与えられるほどの立場、宮中で役割を持つ女性、という意味がありました。
部長は腕を組み、少し考えました。
「つまり、私はこの部署に局を持つ女房……ということですか」

藤野はぱっと顔を明るくしました。
「はい。多くの者が御前に集い、御判断を仰いでおります。まことに立派な御局さまでございます」
部長は笑いました。
「悪くないですね、それ」
その日から、その部署では「お局」という言葉の見方が少し変わりました。
若手社員の一人が、こっそりメモにこう書きました。
御局。
本来は、部屋を与えられた身分ある女性のこと。
現代語では意味が変わり、職場のベテラン女性を揶揄する言い方になることがある。
そして、その横に小さく書き足しました。
言葉は、時代を越えると意味が変わる。
藤野は、光る板を見つめながら言いました。
「ところで、この硯のような板は、どこに墨を入れるのでございますか」
部長は言いました。
「それはパソコンです」
藤野は静かにうなずきました。
「ぱそこん。現代の文机でございますわね」
その日、平安の女房は、現代のオフィスでまたひとつ、新しい言葉を覚えたのでございました。
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